2015年10月13日火曜日

消費社会から真の生産社会へ

この国のカタチを考える。
この社会の仕組みを見直す。

消費社会から生産社会へ。
我々は生産しているように思っていますが殆どと言っていいほど生産していません。
物凄いエネルギーを消費しているに過ぎないのです。

例えば、
アップルパイを食べようとすると、小麦、バターなどの食材の殆どは輸入品です。小麦は大きな船でエネルギーを使って、それを運ぶために働いています。それを小麦粉にするために、保管するために、エネルギーをつかっています。そこでも働いています。そして、さらに、小麦粉はトラックを使ってお店に運びます。ここでも燃料を消費してます。そのために働いている人がいます。
これって、
膨大なエネルギーを消費をするために多くの人が働いていることになります。

この仕組みはだれも疑問に思わない。
この仕組み考え方を見直す必要があります。

エネルギーを最小に抑えるには、自分の体を使ってつくる(生産)ことです。
そのためには自然のなかで自然と共に暮らす仕組みに見直すことだと思います。

この消費社会の仕組みを知ることからはじめませんか。
そうすれば、自ずと、これからの暮らしが見えてくると思います。
働くことが消費しているような社会は楽しくない。
働くことが生産になる楽しい社会を・・・・・。目指しませんか!!。

2015年10月10日土曜日

絶滅危惧種は我々人類かも・・・・・

生物多様性
個体、行動の違いといった遺伝子の多様性
動植物から細菌、微生物といった種の多様性
山から海と言った地形、環境による生態系の多様性
これらを包括して「生物多様性」という。
この地球上で、今、何が起こっているのか。
それは、地球の生態系が崩れつつあるということ。
その原因は、我々人類にあるという。
我々こそが「絶滅危惧種」であることを知るべきである。
自覚すべきである。
そして、
「自然の恵みに感謝する暮らし」を基本にした、
「衣・食・住」へと見直すべき時である。
この国での暮らしは、
地球上でも希な環境での暮らしができるところである。
極寒から猛暑まであり、その変わり目には雨期があり、
台風がたて続けに襲来する。
これらによって、生物の多様性が生まれ、
美しい風景が見れ、豊かな言葉や表現力ができ、
豊かな衣食住の暮らしが出来る環境にある。
このような豊かな風土で暮らしていることを、
地球上で最も資源に恵まれたところで暮らしていることを、
自覚し、感謝すべきである。
森羅万象、全てに、神々が宿っていて、
この恵まれた多様な資源を活かし、
それらに感謝して暮らす、
古(いにしえ)からの知恵や技を、
再考、再生することによって、
豊かな「生物多様性」をも維持できることを、
信じて行動するしかない。
国家間の利害や経済の価値判断で論じている限り、
この地球上で、どの生物よりも、我々人類が
最も要注意な「絶滅危惧種」であり続けることになる。
かつての人類の多くは、
自然の恵みに感謝して暮らしていた筈なのだが・・・・・。

2015年10月9日金曜日

自然から遠ざかる暮らし

我々は便利、快適、という暮らしを求めて、自然界から遠ざかる文明を築いて来た、そのお陰で多くのものが病む社会で暮らすことになった。
この病んだ社会を繕い直す必要に迫られている。
気付いたものから始める。
気付いたところから始める。
伝統的な古民家は、この国の気候風土によって培われてきました。この国の素材でつくられてきました。これらは自然の力で自然に戻せるものでした。
今日の家はもの凄くエネルギーを使ってつくられています。だから解体するときも、もの凄くエネルギーを使います。しかもすべて自然に戻せません。
暮らしについても同じです。
かつては、薪があればごはんは炊けてました。今はどうでしょう?。
電気にしろ、ガスにしろ、膨大なエネルギーを使って電気やガスをつくり、それを使って、ごはんを炊いています。
便利で、快適な暮らしは、自然から遠ざかる暮らしになり、もの凄くエネルギーを使って、地球にも私たちにも不健康な暮らしになっています。

2015年9月4日金曜日

ひとの都合だけで・・・・・

食材と云えば抵抗ないのですが、私たちの口にするものは、全て、生き物を殺して食べている。それは致し方ないこととしても、賞味期限という人間側の都合で処分している。

野菜を育てるのに都合が悪いからと言って草を雑草扱いにし、省力化というもとに除草剤を撒きまわる。

売りやすくするために規格をつくり、規格外は処分する。売る側の都合で処分する。

農薬が散布されていても、綺麗で安い野菜を買って食べる。抗生物質を与えないとダメな育て方をしたものを食べる。人の健康より、売り上げを伸ばすというひとの都合で生産される。

今の暮らしは、衣食住は、すべて、ひとの都合でモノゴトが決まっている。

解かっていても止められない社会の仕組み。
この社会の仕組みを見直さない限り、人類の未来はない。

自然の恵みを紡ぐ暮らし

自然の恵みを紡ぐ暮らし

便利、快適、簡単、安い
美味しい、珍しい、新しい、
売れる、儲かる、
はたして、これらは、私たちのカラダの細胞が歓んでいるでしょうか。

生産と消費を分ける社会の仕組みは、生産はどんどん複雑化し、消費はどんどん簡素化する。
誰が、何処で、どのようにつくられているかも分らないものを、ただ便利だといって消費する。

つくって着る、つくって食べる、つくって住まうことが、カラダの細胞を維持するための基本であり、これらにキモチが加わり、それを感謝する。本来、これが暮らしのはずなのに・・・・・・。

誰かのためにつくることは良くないと言ってるのではありません、みんなと共にに暮らす社会のためには助け合うことが大切です。問題は己の欲望のために、健康を害するものでも、売れるもの、儲けることを目的にしたモノづくりが困ると言いたいのです。


過度な快適な暮らしも良くありません。快適過ぎて細胞がいざという時、働かないと困るからです。、健康的な暮らしは、細胞の能力を発揮出来るように保つことなのです。

カラダの細胞が歓ぶものをつくってほしいのです。

紡ぐ暮らし。
糸は、自然の繊維を採りだし、よりをかけて紡んでつくります。糸を紡ぐのように「紡ぐ暮らし」からはじめてみたいと思います。

2015年8月21日金曜日

美味いけど・・・・、快適だけど・・・・。

◆美味いけど、・・・・・・・。
添加物入りで良いのでしょうか?

美味いものを食べたいという欲望は満たせても、カラダの細胞は悲鳴を上げているかも知れません。化学的に、人工的に、美味しくする技術は、ドンドン進歩?していますが、細胞の健康を考えたものかどうかは疑問です。
安くて美味いものを提供するために、添加物で味付けして、細胞が悲鳴を上げていては本末転倒です。

◆快適な暮らしだけど、・・・・・・・・・・。
化学物質の漂う家で良いのでしょうか?

快適なエアコンの効いた便利な暮らしに慣れ過ぎて、そのために、カラダの細胞が麻痺して、いざという時も頑張らないようでは困ります。
高気密、高断熱による、呼吸の出来ない素材でつくられた暮らしは、化学物質の漂うシックハウスになり、そのために換気扇を設ける必要があるという、こちらも本末転倒の家づくりが主流になっています。

美味しいけど・・・・・・。快適だけど・・・・・・・。
で良いのでしょうか?
やはり、カラダの細胞が喜ぶ暮らしは、自然の素材でつくられたものを食べ、暮らすことだと思います。

遺伝子を操作してまで長生きしたいのであれば・・・・・・・・、
その前に、細胞が悲鳴を上げるような添加物入りの食べ物や、化学物質が漂うような家で暮らさないことが先決だと思うのですが・・・・・・・・。

繕う仕事(つくろふしごと)

繕う(つくろう)。
つくろふ、といふほうがなじむ。気がしますが・・・・・・・。

修理する。補修する。
衣服などの破れ損じたところや物の壊れた箇所を直す。
手当てする。

ととのえる、なおす、よそおう、とりなす、てなおす。
などともいうこともあります。

これらの繕う仕事は、手間が掛かる、面倒くさい、などで今日では敬遠され、絶滅危惧される仕事も多々あります。
繕う仕事は、素人では上手く出来ないことが多いのです、やはり場数を踏んだ経験のある職人さんの技が必要になります。
繕うことによって、そのものの傷みぐわいが学べて、その知恵や工夫が、さらに改善され、より良いものになる。

モノを大切にするために「繕う」。のも大切なところなのですが・・・・・・・・。  

それと、
繕う仕事から技や知恵や工夫を学べ、職人さんの腕をあげることになり、新しいものが生まれる基礎になる。
そんな社会の仕組みを再生することによって、本物が生まれ、暮らしに深みが出ることになると思うのですが・・・・・・・。
如何なもんでしょうか。

繕う(つくろふ)。
繕って使い続ける。モノを大切にする気持ち。自然に感謝するこころ。
古民家の再生は, この
こころの再生でもあると思います。

◆古民家に学ぶ家づくり、店づくり、街づくり

デザインに・・・・・こころを・・・・。

デザインには、いろいろな手法、表現があります。
オリジナルのデザインはどうしてつくられるのでしょう。
学生さんやこれからデザイナーを目指す人達に一言いわせて下さい。むろん、一部の現役のデザイナーの方にも・・・・・・・。

デザインは似るものです。経験、知識等が少なければどうしても似てしまいます。安易な発想ではなお更似てしまいます。ましてや、技術面では、PCさえあれば誰でもデザイン出来ます。

オリジナルなものは、その人の社会感、歴史感、哲学、思想等が備わってこないと生まれてこないのです。
これを打破した人だけがプロのデザイナーとして認められるものです。

デザインは誰のために、何のためにするのか。選ぶ人の美意識、教養等も試されます。

もっと、もっと、切磋琢磨して、世界に通用する、この国のデザインを引っ提げて世界に羽ばたいて欲しいものです。

デザインは、デザインする人の人柄、人格が現れるものです。

2015年8月14日金曜日

戦後70年で思うこと

毎年8月15日が近づくにつれ、戦争の悲惨さ、戦争の愚かさ等々を恒例行事のように放送されている。

戦争は悲惨であり、二度と繰り返してはならない。
なのに、未だに地球上から戦争が無くならない。

戦争はどうして起こるのでしょうか。
なぜ、戦争するのか。だれの爲に戦争をするのか。
国民を守るため?国益のため?国益とはなんでしょう?

「戦争反対」だけでは、戦争はなくならない。
国民のため、国益のため、といってる限り、戦争は無くならない。
戦争ということばで戦争を語っている限り戦争は無くならない。

戦争は国という組織と組織との争いです。
現場では人と人との殺し合いなのです。

戦地で、殺しあったひとは、自分のしたことを大ぴらにはしゃべらない。
ほとんどのひとは地獄だったという。
人を殺す行為は、人間性、人格を超えた行為だから。
人を殺して、自慢することなど出来るはずがない。

戦後70年。1945年に焦土と化して70年。

因みに、焦土に化す70年前は、1875年(明治8年)。
江戸から明治にかわり、この国を西洋の植民地化から守るため躍起になっていたころです。

その人たちは、70年後、この国が焦土と化したことを想像出来たでしょうか。
この国のため、国益のためといってたひとが70年後焦土と化してしまったことを・・・・・・・。

今また、国益のため、国民のためと騒ぎだしているような気がする。

「戦争」という抽象的な言い方より、「殺しあう」のはやめようよ。といってはどうだろう。
それと、やはり、なぜ殺しあうような状態になるのか。を考えるべきだと思う。

その答えは・・・・・・・。

それは、戦争で生活している、儲けているひとがいる。から・・・・・・・。
国益のため、国民のため、といっている、ひと、組織、国に気をつければ見えてくる。

ヒントです。
国民を守る、国益を守る、為のコスト、皆さん!!知ってますか?
誰に払っているのか知ってますか?

2015年8月11日火曜日

捨てればゴミ、活かせば資源

古民家を再生する場合、不要に張られた新建材を剥がすことが多い。古民家だけでなく、店の改装でも、家の改築でも、不要な壁や天井を剥がす。
 剥がした材は、当然のようにゴミとして処分される。旨く剥がせばまだまだ使えるものまで処分される。処分して新しいものを買った方が手間も掛からず経済的?。
 この考え方は工事する業者側からの発想で、発注者側にとって本当にメリットがあるのか?

そこで、古民家Dr,ムラは・・・・・・。

専門の技術の要らない作業、丁寧に剥がす作業、釘を抜く作業等の手間のかかる部分は、自分たちでしてもらう。そして使えるものは再利用する。木材のほとんどは再利用できます。これで、捨てる費用と木材の一部は買わなくて済む。

「楽庵楽塾・にわか大工」での作業では、木材は腐ってない限り、全て再利用しています。http://www.facebook.com/NiwakaDaiku

ボード類は今のところ五割ぐらいは再利用できるように剥がしています。ベイヤや新建材類は裏返して下地材として使えるので剥がしてもらっています。ただ、健康を考慮して居室にはあまり使わないようにしています。

使い切れない場合は、次の現場へ、移動します。
ゴミを出さない!を実践するには、手間がかかり、知恵も必要です。面倒だから、不経済だから、と言い訳して処分する。発注者側はそんな言い訳は聞きたくないはずです。つくる側の都合のいいモノづくりでなく、使う側の立場でのモノづくりでありたいものです。

「捨てればゴミ、活かせば建材」です。

2015年8月5日水曜日

八百万の神々に感謝する暮らし

森羅万象に八百万の神々が宿っている、
この八百万の神々と共に暮らす。
自然の恵みの中でしか生きられません。他に生きる術がありません。

だから、自然=神々なのです。
ゆえに、神々に感謝して暮らすことなのです。

今日、暮らしの中に神々が居なくなったのではなく、ひとの意識の中に神々が居なくなったに過ぎません。自然の恵みの中で暮らしているという意識が無くなったからです。

食べているものは全て生き物です。
太陽も、月も、山も、川も、海も、・・・・・・・
空気も、水も、火も、・・・・・・
無ければ生きていけません。

カラダの細胞はこれらの恵みの絶妙なバランスによって維持されています。
ゆえに、森羅万象に宿る神々に感謝して暮らすことになります。

神に願い事をしたり、神にすがったりするのは本末転倒です。
生きていることが神々の恩恵をすでに受けているのですから。
自然の恵みが無ければ生きていけないのです。

今年は随分猛暑の日がつづいています。
これを天罰ととらえれば、ひとを支配する考え方になり、、
これを自然の恵みととらえ、感謝することによって、知恵と工夫が生まれ暮らしに活かすことになります。

自然の恵み、自然の素材を活かした衣食住、暮らしこそが、カラダの細胞が歓ぶことなのです。
過度の快適性、便利性を求めたり、甘くて美味しい的なものを求めたりするのは、己の欲望を満たすだけであり、カラダの細胞は悲鳴をあげているのかも知れないのです。

衣・食・住、すべてにおいて、自然に感謝して暮らせば、何が必要で何が不必要かが見えたり、さまざまな社会的問題も解決すると思うのですが・・・・・・・。

神々に対する感謝のしかたは、さまざまであっていいと思います。
気付いたものから、出来るところから、始めるしかない。

と思うのですが、如何がなもんでしょう?。


2015年7月25日土曜日

夢を育てる仕事

街は夢の集まり

夢は思いをカタルところから始めないと、カタチになりません。
思いがカタチになる。

多くの人のつながりがなければカタチになりません。
夢はひとりではカタチになりません。
夢と夢とがつながって、それぞれの夢がカタチになります。

日々の暮らしの中から夢が生まれます。
その夢を育てることは、大変ですが、楽しいことです。

夢を求めて暮らしているひとは美しい。
いろんな夢のあつまりは、街を楽しくします。

私の夢は、
そんな夢を育てられる仕事が出来ればいいなと思っています。

諦めなければ夢は叶う。



◆夢を育てる
 http://yumerakuclub.blogspot.jp/2015/06/blog-post.html


「おもてなし」のこころで・・・・・・。

あんなに、「お・も・て・な・し」と言ってたのに・・・・・。
「おもてなし」は、相手に対する思い、気持ちが大切であり、相手が喜ぶコトモノであってほしい。今回のオリンピックのための様々な準備では、何か「おもてなし」の基準が、違うように思うのは私だけでしょうか?。

この国の役割は「もったいない」と「おもてなおし」を、世界中の人たちに知ってもらうこと。このオリンピックはそのよい機会なのだが・・・・・。
「モッタイナイ」「オモテナシ」は、自然にも、ヒトにも、感謝の気持ちが入ってないと、品格のないものになってしまう。

この国を真に守るには武装ではなく、「おもてなし」のこころを、世界中の人々に知ってもらうことを、今回のオリンピックはそのよい機会であると思うのですが・・・・。


2015年7月18日土曜日

新国立競技場で思うこと

用の美。使いやすいものを追及すれば、自ずと美しいものになる。無理のないカタチは美しい。この国の気候風土で建てるにはどんなカタチがいいのか。競技場としてのカタチは・・・・。今までの競技場で問題がなければ同じものでもよい、あればそこを改善し進化させる。競技場のプロトタイプを目指すべきです。そのカタチは美しいはずです。
多用途にするからコストが嵩む。つくりやすくて維持費がかからない、理想の競技場をつくり、その施設を使っていろんなことに活かすための知恵を出し合えばいい。シンプルなカタチほどその可能性が多いはずです。
この国で培われてきた、ものづくりの精神を、知恵や技を、出し合い、引き出し、それをまとめるのが建築家の仕事ではないだろうか。
と、市井の建築家の端くれとして思うのですが・・・・・。

2015年6月30日火曜日

麦の穂で思うこと

自然農で育った麦の穂

この穂には40数粒の麦の実がついています。一粒の麦からこれだけの麦の実が出来ます。半年で40数倍になったことになります。こんな生産性の良いものは他にあるでしょうか。
ひとは一粒、種を土のなかに埋めるだけで、麦は自然のなかでひとりで育つ、子孫を残すために・・・・・・・。

これを活かして暮らせばもっと豊かになれる。ひととひととの中では、食べ物は生まれない。自然の中でしか食べ物は生まれない、育たない。ひとが口にしているものは、全て自然がつくったもの、自然が育てたもの。

植物の種は一粒で自然の中で数十倍になります。なのに、ひとは数パーセントの利潤を求めて、一喜一憂している。夢もなく、ただ空腹を満たすために・・・・・・・・・。、
自然の仕組みのなかで自然と共に暮らしていたはずなのに、いつの間にか、金銭的経済社会の中だけで暮らし、金銭に苦しみ、行きすぎればひとを犠牲にして暮らす社会が形成されてしまっている。

ひとの暮らしを犠牲にした社会から、共に暮らす社会、助け合う社会に、・・・・・・・。気付いたものから始めるしかない・・・・・・・・。のだろうか?

2015年6月24日水曜日

普請「普く(あまねく)請う(こう)」再考

普請「普く(あまねく)請う(こう)」
家を建てたり、修理したりすることを、かつては「普請」といっていました。今はあまり使わなくなりましたが・・・・・。
かつては、
農林水産を基盤にしていた村では、村の基盤施設の整備などは相互扶助が基本でした。家を建てる時もこの相互扶助の精神で助け合っていました。
町での普請は、町人や大店の利潤の還元という意味合いで、労役などは専門職が行う普請でした。
明治以降、西洋文化を取り入れるようになって、「普請」ではなく「建設」という言い方になり、徐々に相互扶助の精神は薄れてしまいました。
かつての村や町での「普請」という相互扶助の精神をもう一度見直し、暮らしや街づくりの仕組みを再考できればと思います。

「街は夢の集まり」です。この夢をカタチにするために、「楽庵楽塾・にわか大工」を設け、この「普請」の考えで、家づくり、店づくりにと考えています。

◇古民家Dr.ムラの楽庵楽塾・にわか大工
http://www.facebook.com/NiwakaDaiku

2014年4月15日火曜日

六十六の春

六十六の春
23,710日目の春。
時に換算すると、569,040時間。
この間、60兆もの細胞が働き続けてきてくれました。
この60兆もの細胞を維持するために、衣・食・住が必要であり、
自然の命を頂いてきました。
これからもそうして暮らしていくことになるでしょう。

かつては、衣も、食も、住も、自然の恵みのなかで学び、工夫しながら、
自然の素材の衣をはおり、自然の素材を食し、自然の素材の家で暮らしていました。
暮らしに必要なものは自らつくり、自然の恵みのに感謝して暮らしていました。

気候風土によって培われてきた先人の知恵と工夫を、
古民家から里山の暮らしから学び、再びこれからの暮らしに活かしたいものです。

暮らしのために切り倒された木は、必要で無くなったから処分するということは、
木の命を無駄にすることになるます。
まだまだ、工夫すれば使えるものを無駄には出来ません。

また、
仕事柄、随分たくさんの木を使ってきました。
少しでも木を植えるようにしたいと思います。

自然のなかから育くまれた60兆もの細胞を維持するために、
自然の驚異と自然の恵みのなかで暮らすために、
多くのひととのつながりと、喜怒哀楽のなかで暮らすために、
森羅万象、八百万の神々に、感謝して暮らしたいものです。

2014・4・15 赤い満月の日
市井の山居「楽庵」にて