六十六の春
23,710日目の春。
時に換算すると、569,040時間。
この間、60兆もの細胞が働き続けてきてくれました。
この60兆もの細胞を維持するために、衣・食・住が必要であり、
自然の命を頂いてきました。
これからもそうして暮らしていくことになるでしょう。
かつては、衣も、食も、住も、自然の恵みのなかで学び、工夫しながら、
自然の素材の衣をはおり、自然の素材を食し、自然の素材の家で暮らしていました。
暮らしに必要なものは自らつくり、自然の恵みのに感謝して暮らしていました。
気候風土によって培われてきた先人の知恵と工夫を、
古民家から里山の暮らしから学び、再びこれからの暮らしに活かしたいものです。
暮らしのために切り倒された木は、必要で無くなったから処分するということは、
木の命を無駄にすることになるます。
まだまだ、工夫すれば使えるものを無駄には出来ません。
また、
仕事柄、随分たくさんの木を使ってきました。
少しでも木を植えるようにしたいと思います。
自然のなかから育くまれた60兆もの細胞を維持するために、
自然の驚異と自然の恵みのなかで暮らすために、
多くのひととのつながりと、喜怒哀楽のなかで暮らすために、
森羅万象、八百万の神々に、感謝して暮らしたいものです。
2014・4・15 赤い満月の日
市井の山居「楽庵」にて
23,710日目の春。
時に換算すると、569,040時間。
この間、60兆もの細胞が働き続けてきてくれました。
この60兆もの細胞を維持するために、衣・食・住が必要であり、
自然の命を頂いてきました。
これからもそうして暮らしていくことになるでしょう。
かつては、衣も、食も、住も、自然の恵みのなかで学び、工夫しながら、
自然の素材の衣をはおり、自然の素材を食し、自然の素材の家で暮らしていました。
暮らしに必要なものは自らつくり、自然の恵みのに感謝して暮らしていました。
気候風土によって培われてきた先人の知恵と工夫を、
古民家から里山の暮らしから学び、再びこれからの暮らしに活かしたいものです。
暮らしのために切り倒された木は、必要で無くなったから処分するということは、
木の命を無駄にすることになるます。
まだまだ、工夫すれば使えるものを無駄には出来ません。
また、
仕事柄、随分たくさんの木を使ってきました。
少しでも木を植えるようにしたいと思います。
自然のなかから育くまれた60兆もの細胞を維持するために、
自然の驚異と自然の恵みのなかで暮らすために、
多くのひととのつながりと、喜怒哀楽のなかで暮らすために、
森羅万象、八百万の神々に、感謝して暮らしたいものです。
2014・4・15 赤い満月の日
市井の山居「楽庵」にて