2016年4月24日日曜日

熊本大分大地震2016

2016年4月14日から始まり、16日に本震、その後の連続の余震。
そんな中で考えさせられることがある。

地球は生きている
その生きている地球の上で暮らしている

避難所
災害から逃れるための避難所
住む家を無くしての避難所

家は暮らしを支えている。
暮らしを支えているもの・衣食住

「衣」を纏う
体温調整や體を保護する

「食」らう
食べて生命を維持する

「住」まう
雨露を凌いで寝る
煮炊きする
排泄する

この「衣・食・住」を維持するために家がある。
これら暮らしの基本中の基本が、震災に合うとこれが出来なくなる。

その家が使えなくなると、たちまち、暮らしに支障をきたすことになる。
家は暮らしを支えている。

この生きている地球と共に暮らしていくためには、絶対安全なものはつくれません。が最低限、命を守れる家にしておくことが大切です。


核家族化政策の弊害

戦後、高度経済成長と共に核家族化が進み、いや、核家族化政策によって高度経済成長したともいえます。そして、その弊害が、歪が、今日のさまざまな病んだ社会として現れていることに気づき、修正しないとこの国は滅んでしまう。もう滅びつつあります。

暮らしの中で子育てが問題になっている。
大家族で子育てし、近隣の人々と共に子供を見守っていました。共同で育てる仕組みがあった。人社会での基本であった。それが子育ての基本であった。
それが核家族社会化によって共同で育てる仕組みを破壊してしまい、今のさまざまな社会問題になっている。

働き方(暮らし方)にも、同じことがいえる。かつては大家族というチームで働いていた。それが核家族化によってチームで働くことが出来なくなり、働くこと、暮らすことそのものが破壊してしまった。

更に、厄介なのは、未だ高度経済成長の社会の仕組みが続いていること。核家族化での経済システムのままで。人口減少社会が来ているというのにである。

共同養育、相互扶助的暮らし社会に移行しない限り、この社会は崩壊することが目に見えている。

この国には資源がないので、他国から原材料を輸入し、加工して、輸出しないと成り立たない。そして経済大国になった。だが社会は病みはじめている。

この病んだ社会に気づき、この国の豊富な資源を活かして、共に働き、共に育て、共に営む暮らし。自然に寄りそう暮らし。
人任せにせず、気づいたものから始めようではないか。