2016年5月31日火曜日

育くむこと。愛でること。

教育とは、「育むことを教える」こと。「教えて育てる」では無く・・・・・・・。

今日の教育は、教えることが主で、育てることを忘れ去られています。
「育くむ」こと、そのものを忘れています。
私達はこの「育む」ことの大切さを伝え教え、体感する必要があると思います。
教えるのではなく、「なぜ」そうするのか、が大切なのではないでしょうか。
愛でるこころが大切なのではないでしょうか。

大自然の中で育んでいること、育むこと。
助け合うこと。愛でるこころ。
いのちのこと。生きること。生きていること。
暮らしのこと。暮らし方のこと。

勿論、
読み・書き・算盤
も必要です。

家で、家族で、暮らしのなかで、学び、育むことが出来なくなった今日の社会では、尚更、この、育むこと、愛でることの大切さを知る場が必要になって来ています。
今日の社会の歪は、育む、というところから見直し、それを繕うことから始める必要に迫られているような気がします。

知っていても、それを暮らしに活かして、知恵として、工夫してこそ、であると思います。
多くのことを知っているだけでは、生きていけません、それを活かして、暮らしのなかで、育くみ、愛でることが求められているようです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村

2016年5月22日日曜日

この国のカタチを考える。人口集中化。

こんなに集まって暮らす必要があるのだろうか?
便利、快適を求め続けて・・・・。

この街を維持するためにどれだけのエネルギーが必要なのだろうか?。
この暮らしを維持するためにどれだけのエネルギーや食糧が必要なのだろうか。

この地球の営みの中で暮らす・・・・・。
地球の営みは人類の営みをはるかに超えたところで営まれていることを知るべきです。
地球の営みは人の営みを一瞬にして破壊することもある。

人類の危機管理から見れば人口の集中は人類の滅亡を加速化しているに過ぎない。
人口の集中化は、戦争、遺伝子操作、原子操作、温暖化、環境汚染、免疫力の低下等々と同じくらいに危ない。

東京駅
http://citrus-net.jp/article/1026

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村

2016年5月19日木曜日

暮らしの中にカタチがある。

家は暮らしがカタチになる。
暮らし方がカタチになる。

地域による暮らし、季節による暮らし、気候風土に培われた暮らし、地形による暮らし
暮らしがカタチになる。

暮らしに必要なものをつくる。
自然に寄り沿うものづくり。

これ、ものづくりの基本。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村

我々は経済で生きているわけではない。

社会の仕組みを考えて見ると。
日々、経済がどうのこうのといって、生きている。

経済、経済、経済・・・・・・・・。
まるで経済で我々は生きているかのように・・・・・・・・。

我々は経済では生きていない。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村

農業から逃げたはずなのに・・・・・。

農家に生まれ、百姓から逃げたのに・・・・・。
いや、農業から逃げたと言った方が正確かも知れない。
百姓ならつづけていたかも知れない。

百姓は自然の営みを知り、自然に寄り沿う暮らし方。
農業は農を生業とし、生産したものを売る暮らし方。
なので、大量に生産して、販売する、目的のために生産する。
生産の効率、生産性、売れるものをつくる。
そのために、機械化、化学肥料、農薬を使わざるを得ない。
工業製品をつくる仕組みで・・・・・・。

今になって農の大切さを痛切に感じている。
農は私達の生命を維持するために無くてはならないもの。

暮らしを考える仕事に携わるなかで、暮らしの基本は、やはり衣食住を知ること、自然を知ることに尽きることを知る。

農家に生まれ、農家が嫌になり、農業から逃れ・・・・・・、
そして、暮らしを考え、社会の仕組みを考えたとき、
農業でなく、暮らしの一部としての農を・・・・・。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村

熊本大分大地震から一か月が過ぎて・・・・・。国の基準は誰のためにあるのか。

この国のカタチを考える。国の基準。

古いから危険?。新しいから安全?。
国の基準は、有識者の意見だけでなく、業界の思惑も考慮?している。

壊れたものと壊れていないものがある。
たとえ基準が満たしていても。

古い(伝統的な)ものでも、壊れているものと、壊れていないものがある。
壊れているものだけを対象に分析するのでなく、壊れてないものも分析の対象にしてほしい。
そこに、先人の、職人の知恵が隠されていることもある。

得てして、このことが今日のものづくりに対して無視されているような気がする。ハイテクばかりが信じられ、ローテクが無視される傾向がある。

いろいろと実験した金物で補強して安全ですと言っていてもその金物が外れることもあることを忘れている。
竹と土の壁の貫構法の方が粘りがあって倒壊を免れることもあるのである。

ものづくりにとって、もう少し自然に対して謙虚になることが必要な気がする。特に暮らしの基本(衣食住)に携わるものにとっては、もっと、もっと自然の優しさと脅威を直視して、つくりたいものである。
暮らしを守り、命を守り、維持する仕事をしていることを自覚すべきである。

木を見て、森を見ず。
自然の営みを知り、暮らしを、衣食住を考える。

この病んだ社会、歪んだ社会を繕うのは・・・・・。
ここから、見直すべきだと思いますが、どうだろうか。

◆メモ
熊本大分大地震2016の被害報告
https://www.facebook.com/denmoku/#

2016年5月11日水曜日

七輪のある暮らし

市井の建築家が、七輪とダッチオーブンでアップルパイを焼きだして7年になります。電気オーブンもガスオーブンも使わずにアップルパイを焼く
にはどうすれば良いのか?。この素朴な疑問から生まれたのが、七輪というコンロとダッチオーブンの組合せです。熱源は木炭です。

電気も、ガスも使わずに、暮らしていた時代を再考してみると、自然との循環もそれなりに上手くいっていた。

暮らしのこと、エネルギーのこと、資源のこと、などを考えると、やはりこの国の資源を活かすことから見直す必要があります。

この国には、資源がないと云われてきました。資源がないので輸入するしかない。この国には、多様性にとんだ豊かな自然があり、この自然を活かして、工夫して、暮らして来ました。
暮らしていくためのエネルギーは、十分だったはずです。この国の自然を活かした循環型の暮らしが成り立っていたのです。

この国の資源を考えたとき竹があります。竹は繁殖力が強く放置すると瞬く間に野山を侵食してしまいます。

かつては、日常的に必要なものは、ほとんど竹でつくられてきました。竹は傷むから壊れやすいからといって、プラスチック製品に置き換わり、修理もできず、不用になったらゴミとして捨てられ、処分に膨大な税金とエネルギーを使っています。
竹の製品は修理も出来るし、処分するのに多くのエネルギーは必要としないし、放置しても、自然に返ります。
モノを修理して使う文化がありました。無駄なゴミが出ない社会の仕組みがありました。

この竹を炭に変えてエネルギー源にすれば、循環型の持続可能な社会の一端を担うことが出来るのではないでしょうか。荒れた竹藪から、美しい竹林のある国になることでしょう。

このハイテク優先の社会に、ローテクの知恵と技を見直し、この片寄った社会の仕組みの歪みを繕う時なのです。

「七輪のある暮らし」は、そんな片寄った「暮らしの歪みを繕う」きっかけになればと思います。

七輪とダッチオーブンでアップルパイを焼いて食べながら、再考してみては如何でしょうか?。

2016年5月1日日曜日

暮らしの美。美しい暮らし。

日々の暮らしの中から生まれたもの。
「用の美」。柳宗悦らが提唱した「民芸」。
永い時を経て培われてきた暮らしの中から生まれてきたものは美しい。
河井寛次郎の「暮らしが仕事 仕事が暮らし」のことばにもそれが感じられる。

モノだけでなく暮らしそのものに「美」を感じる。
美を感じる暮らし。アートな暮らし。
そんな暮らしをしたいものです。

それは、
かつての里山の暮らし。
自然の営みに近い、自然に寄りそう暮らし。
自然農的暮らしにあるように思う。

美しい暮らし。
気候風土によって培われてきた、自然に寄りそう暮らしから生まれた、古民家にもまたそれを感じることが出来る。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 暮らしを楽しむへ
にほんブログ村