2015年8月14日金曜日

戦後70年で思うこと

毎年8月15日が近づくにつれ、戦争の悲惨さ、戦争の愚かさ等々を恒例行事のように放送されている。

戦争は悲惨であり、二度と繰り返してはならない。
なのに、未だに地球上から戦争が無くならない。

戦争はどうして起こるのでしょうか。
なぜ、戦争するのか。だれの爲に戦争をするのか。
国民を守るため?国益のため?国益とはなんでしょう?

「戦争反対」だけでは、戦争はなくならない。
国民のため、国益のため、といってる限り、戦争は無くならない。
戦争ということばで戦争を語っている限り戦争は無くならない。

戦争は国という組織と組織との争いです。
現場では人と人との殺し合いなのです。

戦地で、殺しあったひとは、自分のしたことを大ぴらにはしゃべらない。
ほとんどのひとは地獄だったという。
人を殺す行為は、人間性、人格を超えた行為だから。
人を殺して、自慢することなど出来るはずがない。

戦後70年。1945年に焦土と化して70年。

因みに、焦土に化す70年前は、1875年(明治8年)。
江戸から明治にかわり、この国を西洋の植民地化から守るため躍起になっていたころです。

その人たちは、70年後、この国が焦土と化したことを想像出来たでしょうか。
この国のため、国益のためといってたひとが70年後焦土と化してしまったことを・・・・・・・。

今また、国益のため、国民のためと騒ぎだしているような気がする。

「戦争」という抽象的な言い方より、「殺しあう」のはやめようよ。といってはどうだろう。
それと、やはり、なぜ殺しあうような状態になるのか。を考えるべきだと思う。

その答えは・・・・・・・。

それは、戦争で生活している、儲けているひとがいる。から・・・・・・・。
国益のため、国民のため、といっている、ひと、組織、国に気をつければ見えてくる。

ヒントです。
国民を守る、国益を守る、為のコスト、皆さん!!知ってますか?
誰に払っているのか知ってますか?

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