2015年6月30日火曜日

麦の穂で思うこと

自然農で育った麦の穂

この穂には40数粒の麦の実がついています。一粒の麦からこれだけの麦の実が出来ます。半年で40数倍になったことになります。こんな生産性の良いものは他にあるでしょうか。
ひとは一粒、種を土のなかに埋めるだけで、麦は自然のなかでひとりで育つ、子孫を残すために・・・・・・・。

これを活かして暮らせばもっと豊かになれる。ひととひととの中では、食べ物は生まれない。自然の中でしか食べ物は生まれない、育たない。ひとが口にしているものは、全て自然がつくったもの、自然が育てたもの。

植物の種は一粒で自然の中で数十倍になります。なのに、ひとは数パーセントの利潤を求めて、一喜一憂している。夢もなく、ただ空腹を満たすために・・・・・・・・・。、
自然の仕組みのなかで自然と共に暮らしていたはずなのに、いつの間にか、金銭的経済社会の中だけで暮らし、金銭に苦しみ、行きすぎればひとを犠牲にして暮らす社会が形成されてしまっている。

ひとの暮らしを犠牲にした社会から、共に暮らす社会、助け合う社会に、・・・・・・・。気付いたものから始めるしかない・・・・・・・・。のだろうか?

2015年6月24日水曜日

普請「普く(あまねく)請う(こう)」再考

普請「普く(あまねく)請う(こう)」
家を建てたり、修理したりすることを、かつては「普請」といっていました。今はあまり使わなくなりましたが・・・・・。
かつては、
農林水産を基盤にしていた村では、村の基盤施設の整備などは相互扶助が基本でした。家を建てる時もこの相互扶助の精神で助け合っていました。
町での普請は、町人や大店の利潤の還元という意味合いで、労役などは専門職が行う普請でした。
明治以降、西洋文化を取り入れるようになって、「普請」ではなく「建設」という言い方になり、徐々に相互扶助の精神は薄れてしまいました。
かつての村や町での「普請」という相互扶助の精神をもう一度見直し、暮らしや街づくりの仕組みを再考できればと思います。

「街は夢の集まり」です。この夢をカタチにするために、「楽庵楽塾・にわか大工」を設け、この「普請」の考えで、家づくり、店づくりにと考えています。

◇古民家Dr.ムラの楽庵楽塾・にわか大工
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