2020年4月15日。6回目の子年を迎えました。
72年も生きていると色んなことが起こります。
非常事態発令
6回目の子年の今年は、得体の知れない流行り病で始まり、世界中に拡散し、ついに、緊急事態宣言まで発令され、未だに収束の目途が絶たない。
お陰で、外出の自粛で、このぼろアパートの一室に籠って、いろいろ考えさせられます。
感染拡散防止のために、外出を自粛しろといっているのに、街にひとがいないと嘆いているような報道に違和感。
この状況下で、不況ということばを使う違和感が隠せない。不況と言えばひとは共感でもすると思っているのだろうか。
今回のような非常時での現場は壮絶なことが起こるものです、ひとの使命感の凄さに頭が下がり、感謝するしかありません。
非常時の時に見えるひとの本性
兎に角、今は、知恵を絞ってこの場をしのぐことを優先するしかないようです。
非常時でも己中心で物事を考えるひと、一方では、己を犠牲にしてでも対処するひと、
この差は何なんでしょうか。
この社会の仕組みのなかで、様々な問題が発生し、その対処に追われることになっているようです。
言うことの聞かないひと
風評、デマを流すひと
自分は大丈夫と思っているひと
この場に乗じて儲けようとするひと
己のことしか考えないひと
そんなこんなで大変な思いで対処している状態の中でも、この場に及んでも、必死に今までの暮らしに戻そうとしています。
暮らしを見直さないとヤバいことになると、何十年も前から警告されていても、他人事のように扱ってきて、いざ、現実的になり、あたふたとしています。
今回も、喉元過ぎれば熱さを忘れる的な対処ですませるのではなく、根本的な暮らし方を考える必要があるようです。
人類を滅ぼすのは、流行り病などではなく、人類そのもの
人類を滅ぼすのは、流行り病ではなく、人類そのものの活動であるかも知れません。
地球規模で見ると爆発的な人口増の社会、一方、少子高齢化社会が存在しています。これからは、地球規模でどうするか考える必要があるようです。
産業革命によって世界規模での人類の活動が起こり、行き過ぎた暮らし、無視した極度な経済活動の弊害が噴出してきています。大量生産大量消費の社会や、今回の流行り病の対処や対策も、そのひとつと捉えた方が良いのではないかと思います。
それを見直そうというSDGsのような提案があっても、他人事のように振る舞う社会の仕組み。
社会の仕組みに流されて、分かっていても止められない仕組み。
日常の暮らしの中でつくってきたルールは、非常時の暮らしには役立たないこともある。
社会の仕組みは個々の暮らしのためにある
これを機会に、分かっているなら、実行できる暮らしをしたいものです。
社会の仕組みは、ひとの暮らしのためにあるのであって、経済活動の社会のためにあるのではないことを肝に命じて、暮らし方を見直す時に来ていると思います。
消費者と生産者とを分けない暮らし、
大量生産大量消費の社会を改める暮らし、
経済成長至上主義を改める暮らし、
過度な快適性、過度な利便性を改める暮らし
自然に感謝する暮らし
等々。
働き方改革よりも、暮らし方改革を基本に考えるべきでしょう。
暮らしが基本で、社会は暮らしをサポートするためにがある。
暮らし方、社会の仕組みを見直す時期にきているようです。
物凄く勇気のいる暮らし方になるように思えますが、
意外と簡単でシンプルで楽しい暮らしになると思うのですが、
如何でしょう。
6回目の子年を迎え、世界的流行り病の猛威のなかでのメモとして。
72年も生きていると色んなことが起こります。
非常事態発令
6回目の子年の今年は、得体の知れない流行り病で始まり、世界中に拡散し、ついに、緊急事態宣言まで発令され、未だに収束の目途が絶たない。
お陰で、外出の自粛で、このぼろアパートの一室に籠って、いろいろ考えさせられます。
感染拡散防止のために、外出を自粛しろといっているのに、街にひとがいないと嘆いているような報道に違和感。
この状況下で、不況ということばを使う違和感が隠せない。不況と言えばひとは共感でもすると思っているのだろうか。
今回のような非常時での現場は壮絶なことが起こるものです、ひとの使命感の凄さに頭が下がり、感謝するしかありません。
非常時の時に見えるひとの本性
兎に角、今は、知恵を絞ってこの場をしのぐことを優先するしかないようです。
非常時でも己中心で物事を考えるひと、一方では、己を犠牲にしてでも対処するひと、
この差は何なんでしょうか。
この社会の仕組みのなかで、様々な問題が発生し、その対処に追われることになっているようです。
言うことの聞かないひと
風評、デマを流すひと
自分は大丈夫と思っているひと
この場に乗じて儲けようとするひと
己のことしか考えないひと
そんなこんなで大変な思いで対処している状態の中でも、この場に及んでも、必死に今までの暮らしに戻そうとしています。
暮らしを見直さないとヤバいことになると、何十年も前から警告されていても、他人事のように扱ってきて、いざ、現実的になり、あたふたとしています。
今回も、喉元過ぎれば熱さを忘れる的な対処ですませるのではなく、根本的な暮らし方を考える必要があるようです。
人類を滅ぼすのは、流行り病などではなく、人類そのもの
人類を滅ぼすのは、流行り病ではなく、人類そのものの活動であるかも知れません。
地球規模で見ると爆発的な人口増の社会、一方、少子高齢化社会が存在しています。これからは、地球規模でどうするか考える必要があるようです。
産業革命によって世界規模での人類の活動が起こり、行き過ぎた暮らし、無視した極度な経済活動の弊害が噴出してきています。大量生産大量消費の社会や、今回の流行り病の対処や対策も、そのひとつと捉えた方が良いのではないかと思います。
それを見直そうというSDGsのような提案があっても、他人事のように振る舞う社会の仕組み。
社会の仕組みに流されて、分かっていても止められない仕組み。
日常の暮らしの中でつくってきたルールは、非常時の暮らしには役立たないこともある。
社会の仕組みは個々の暮らしのためにある
これを機会に、分かっているなら、実行できる暮らしをしたいものです。
社会の仕組みは、ひとの暮らしのためにあるのであって、経済活動の社会のためにあるのではないことを肝に命じて、暮らし方を見直す時に来ていると思います。
消費者と生産者とを分けない暮らし、
大量生産大量消費の社会を改める暮らし、
経済成長至上主義を改める暮らし、
過度な快適性、過度な利便性を改める暮らし
自然に感謝する暮らし
等々。
働き方改革よりも、暮らし方改革を基本に考えるべきでしょう。
暮らしが基本で、社会は暮らしをサポートするためにがある。
暮らし方、社会の仕組みを見直す時期にきているようです。
物凄く勇気のいる暮らし方になるように思えますが、
意外と簡単でシンプルで楽しい暮らしになると思うのですが、
如何でしょう。
6回目の子年を迎え、世界的流行り病の猛威のなかでのメモとして。
つづく